敗退後、その足で中学のグランドに戻り、3年生の「引退式」が行われた。
負ければ終わりの中体連。
終わった瞬間に、下級生にグランドを明け渡さなければならない。
3年生が“終わった”、ということは、新チームの“始まり”を意味する。
3年生がマウンドに並び、ホームベース上に父兄が、三塁側に下級生が、そして父兄と下級生の間に先生が立った。
「泣くのを我慢しよう」
そう思いながら親の列に並んだ。
3年生は一人づつ前へ出て、まずは同級生へ、次に下級生へ、その次に先生へ、最後に父兄にお礼の言葉を言った。
お父さん、お母さんたちの目からは涙がこぼれていた。
そこには、早すぎる敗戦に対する無念、というよりも、終わってしまったことに対する寂しさが詰まっているようだった。
コウタはひきつけを起こしそうなほど号泣していた。
最後の試合、彼に出番はなかった。
“1”だった背番号は大きな番号へと変わった。
それでも号泣していた。
それは“自分のチームだ”と思って取り組み、戦えた証。
彼にとって、素晴らしい中学野球生活だった。
“エース”のユウキが先生の前に立ち、溢れだす涙をそのままに、言葉を絞り出した。
「県大会優勝という約束を果たせなくてすみませんでした」
涙をすすりながら、彼はそういった。
それを聞いた瞬間、我慢していた涙が“ドバッ”と溢れだした。
2年生の時からレギュラーとして活躍した彼は、最上級生になってから、常にチームの中心であり続けた。
打撃はもとより、走塁も、守備も、さらにはピッチングも、彼が活躍しなければチームは勝てなかった。
チーム全体の力が上がり、徐々に勝てるようになってきたが、大舞台では彼の活躍なくしては到底勝利できなかった。
この敗戦をひとりで背負い込んでいるような気がした。
チームの目標である「県大会優勝」を、学校の期待を、父兄の期待を、チームメイトの期待を、そして先生の期待を一身に背負って戦っていたのだ。
引退式が終わり昼食をとると、元気を取り戻していた。
グランドに飛び出すと、暗くなるまで野球をしていた。
その姿は実に楽しそうで、はつらつとプレーしていた。
その姿を見ると、再び涙がこみあげてきた。
「なんでそれがさっきできなかったのか…」
みんながみんな、“上手い”。
試合では全く出せなかったが、確実に野球が上手くなっていた。
勝つことはできなかった。
だが努力はできた。
努力ができたおかげで勝つ確率は格段に上がった。
「勝ちに偶然はあるが、負けに偶然はない」
野村克也の言葉だが、そうだと思う。
勝つ確率は上がったものの負けた。
その負けには理由があるはずだ。
大会前の練習試合の成績は実に良かった。
その結果により、その“偶然”の勝ちにより、チームとしての欠点が見えなくなってしまっていたように思う。
彼らにはこの経験をこの先に活かしてほしい。
ただただ「残念だった」ではあまりにももったいない。
かけがえのない仲間と、貴重な経験をしたのだから。
彼らが同じメンバーで真剣に野球をすることは、もう“ない”。
ただこの先、対戦相手として戦う日がくるかもしれない。
高校野球という最も大きな舞台で戦ってほしい。
この日の悔しさを手に、ひとりでも多くの子が、高校でも野球をやってくれることを願う。
日が暮れかかり、彼らはグランド整備を始めた。
このグランド整備が中学生活“最後”のグランド整備。
誰に言われたわけでもなく、3年生は自分が守ったポジション付近を丁寧にならしていた。
先生が「もういいだろ」と言うまで彼らはずっとトンボを手に、グランドにいた。
みんなが引き揚げたにも関わらず、ひとりマウンドを丁寧にならす子がいた。
コウタだった。
名残惜しそうに、何度も何度も、感謝をするかのように、丁寧に丁寧に、ならしていた。
ならしていたというよりも、マウンドに“いた”。
中学入学時、野球を続けるかどうか悩んだ。
結局は野球を選んだが、彼にとって野球は“そんなもん”だった。
だが、マウンドにずっととどまる彼を見ていると、そんな思いは消えうせた。
いや、とっくの昔に消えうせていた。
コウタはいつしか“野球人”になっていたのだ。
こうしてコウタの中学野球は“終わった”。