初戦で敗退した。
何もすることができず、全く相手に抗うことができないまま敗れた。
自分たちの野球を一切見せることなく、一度も流れを引き寄せることができないまま敗れた。
彼らには相応しくない、あまりにもあっけない幕切れだった。
中学“最後”の大会である中体連でもっとも大事なのは「負け方」。
1チームを除いて、他の全てのチームは、早かれ遅かれ“負ける”。
負けるタイミングも大事だが、最も大事なのはやはり“負け方”、ということになる。
自分たちらしいプレーで、ガチンコでぶつかり合い、総力を尽くしたうえで“負ける”。
「負け方」を競っていると言っても過言ではないだろう。
そう考えると、三ヶ日中は最悪の負け方をした。
どう見ても“やり切って”いない。
負ける時はそういうモノだとはわかっているが、あまりにもツラく、あまりにも寂しい。
敗因は間違いなく“試合への入り方”。
対戦相手の高台中は、小学校の時に県大会で対戦した子たちが多く属すチーム。
昨年からレギュラーだった子も多い。
名前的にには“三ヶ日有利”なのかもしれないが、個々の能力では高台中の方が上だと思っていた。
とはいえ、厳しい練習に耐えた三ヶ日中のチーム力は見違えるほど上がっていたため、互角の勝負になると思っていた。
接戦で悔しい思いをたくさんしたチームだが、接戦をモノにするチームだったため、接戦になれば“勝機あり”とみていた。
互角のチーム同士の戦いとなれば、
勝敗を左右するのは間違いなく“試合への入り方”だ。
試合は土曜日に行われたのだが、翌日には静岡の強豪との練習試合が組まれていた。
日曜日の段取りや配車当番の確認などが数日前から行われていた。
「土曜日の試合には勝つから」
願望が強かったのだろうが、これには少しばかり違和感を感じていた。
三ヶ日中が入ったブロックは、“因縁”の第1シード、天竜中がいるブロック。
組み合わせが決まった時から、みんながみんな「絶対天竜中に勝つ!」と気合を入れていた。
気合いを入れるのはいいが、これにも違和感を感じていた。
天竜中と対戦するためには、2回勝たなければならない。
それをすっ飛ばしての“天竜中”だ。
もちろん、口では「一戦一戦戦っていこう」的なことを言っていたとは思うが、雰囲気として「絶対天竜中に勝つ!」がにじみ出ていた。
試合当日、アップの時から違和感があった。
いつもと“何か”が違っていた。
みんなボールが手に付かない…。
聞こえてくる声にも力が全く感じられない…。
プレッシャーとなってしまっているのか、はたまた極限まで集中力が研ぎ澄まされているのか…。
試合が始まるとすぐにそれはわかった。
明らかに前者だった…。
笑顔で、楽しそうにプレーする高台中の選手に対し、三ヶ日中の選手からは生気が全く感じられなかった…。
バッターボックスでベンチを振り返るその顔は引きつり、グランドからも、ベンチからも活きた声は全くなかった…。
「本当に、こんな試合で終わるつもりなのか!?」
試合中、何度も何度も心の中で叫んだ。
間違いなく、今年のワーストゲーム…。
そして、何もできないまま、試合は“終わった”…。
あまりにも早すぎる終戦だった…。
試合後、泣きくずれる選手がいるなか、淡々と片付けをする選手も多くいた。
全員に泣いてほしい訳ではないが、拍子抜けするほど負けを受け入れた選手もいた。
その表情は、「あ~、早く負けて良かった」と言っているように見えた。
事実はわからない。
だが、チームが一枚岩になり、目標に向かっているとはとても思えなかった。
ある指導者が言っていた
「団体スポーツは掛け算」
その言葉が頭の中を駆け巡った…。
スポーツには勝敗がある。
言うなれば人生だって“勝つか負けるか”だ。
勝敗がつく限り、勝ち以外に意味はない。
一生懸命に練習したから勝てるようになった、のではない。
勝つ確率を少しでも上げるため、負けの可能性をわずかでも減らすために練習するのだ。
本当に勝つ確率を上げるために、勝利を意識して練習に取り組むことができただろうか。
厳しい練習をしている、ということだけで満足していなかっただろうか。
「俺たちの方が厳しい練習をしたから強い」という実体のない幻想にとらわれていなかっただろうか。
相手を充分リスペクトし、チャレンジャーとして試合に臨めただろうか。
チームの異変に気付き、その対策を講じることができただろうか。
相手打者の癖や、投球の傾向に気付き、打開するための行動を起こせただろうか。
他人に依存するのではなく、
「このチームは俺のチームだ」と各々が心から思い、チームのために尽くすことができただろうか。
プレッシャーに打ち勝つために、
心を整えるための作業(ルーティーン)があっただろうか。
彼らの中学野球は終わった。
この先も野球を続ける子もいるだろうし、これで野球から離れる子のいる。
はっきりしているのは“人生も勝負”だということ。
野球だけではない。
人生にも勝ち負けがある。
中学では“負け”た。
だがこの先の人生は永い。
人生で勝つためにはどうすればいいか。
やはり“練習”しかない。
勝つ確率を上げるために、“努力”を続けるしかほかに道はない。
地道に日々、努力を続けるしか勝つための“手段”はない。
近道など存在しないのだ。
彼らは中学野球で結果を得られなかった。
だがこの先の人生において、最も大事なモノを手に入れた。
それは、“努力できること”。
この先の彼らの人生が楽しみでならない。