“奇跡”の物語。

「全部出せ~!!」
気付けば、聞き取ることが困難なほどの涙声で叫んでいた。

本当は
「先生に教わったプレーを全部出せ~!」
と言いたかったのだが、そんな長文を言える状況ではなかった。


先生が三ヶ日中に赴任されて5年。
その中でも、昨年のチームは“最強”だった。
本気で、より具体的に全国大会を目指したチームだった。
新チームになると、二年生が4人、一年生が2人の、
バレーボールのルール上、最低人数になった。
そもそも“最弱”のチームだった。
そんなチームが今、東海大会の舞台で戦っている。
はっきり言って“奇跡”だ。

その奇跡は全てが先生のお陰。

“たった”6人であろうと諦めることなく、
彼女たちが最大限の力を発揮できるシステムを構築し、
“勝者のメンタリティ”を植え付けてくれた。
采配も秀逸で、特に勝負どころでの指示は、彼女たちのギアを二つも三つも上げた。
その結果、“奇跡の物語”を目の前で見ることができた。


第三セットが始まる前、いつも通り、子供たちは先生の前に集まり、指示を待った。
だが、先生から指示はなかった。
先生も我々同様、感情が溢れだしていたのだ。


最終となる第三セットは三ヶ日中のサーブで試合開始。

伊東南中は、鋭いサーブカットからエースがアタックを放つが“アウト”。
二セット目に、三ヶ日中が拾いまくったことで、より厳しいコースを狙ったことで生じたミスだった。

1対0。

スピード溢れるサーブで相手を崩すと、
チャンスボールを、エースが難なく決め、

2対0。

伊東南中の左のエースが強烈なスパイクを打つも、
三ヶ日中が必死で拾い上げる。
それをセッターがフォローし、再びエースが決めた。

3対0。

エースのアタックを、伊東南中が繋ぎエースがスパイク。
三ヶ日中のブロックが決まる。

4対0。

その後、二本のサービスエースで、

6対0。

点差がついた。

「全部出せ~!」

それでも、声にならないような声を、
彼女たちに叫び続けた。

勝敗なんてどうでも良かった。
点差もどうでもいい。

ただただ先生に見てもらいたかった。
教えてもらったことを“全て”出しきる彼女たちを。


いつもなら、大きなアクションで、子供たちと一緒になって喜び、
チームを鼓舞する先生だが、
この時は全く動かなかった。
椅子に座ったまま、一切動かなかった。
目を真っ赤にしたまま。


三ヶ日中は、その後も得点を重ねた。

県大会で敗れた相手に対し、一方的な展開で試合を進めた。


とにかくボールが“落ちない”。

今年の三ヶ日中はとにかく“拾いまくる”。
先生が真っ先に手を付けたのが“守備”だった。
「守備が安定すれば勝負になる」と、
とにかく守備力の向上を図った。
多少のミスはあるものの、守備は安定した。
この守備力を軸に、東海大会へ辿り着いた。
そして今、その守備が“全て”を出している。
先生に教わった技術、ポジショニング、そして読み。
全てが機能的に動き、ボールを落とさなくなっていた。


とにかくトスが“早い”。

先生は、攻撃では“スピード”を求めた。
現役時代、セッターとして活躍した先生のトス理論は、他のチームと全く違っていた。
遅くなることも多々あったが、早いトス回しで東海大会へ辿り着いた。
そして今、先生から“”全て”を教わったセッターが、早いトス回しで相手を混乱させている。


どこに打つか“分からない”。

エースには、“機動力”が求められた。
強打で決まればいいのだが、毎回毎回決まることはない。
先生は常に動いて、相手に的を絞らせないアタックを指導した。
強打に頼りすぎることもあったが、どこのチームのエースよりも動き回ることで、
誰よりも得点を挙げ、東海大会へ辿り着いた。
そして今、先生から教えてもらった技の“全て”を駆使し、得点を重ねている。


いま目の前で見ているバレー。
このバレーこそ、きっと先生が目指したバレー。

「彼女たちは全てを出している」
そう思うと、嗚咽が止まらなかった。


9対1まで試合が進んだところで、
伊東南中がたまらず「タイムアウト」。

気持ちを切り替えた相手エースが強烈なスパイクを放つが、
これも拾い上げ、得点へと繋げた。

13対2となったところでコートチェンジ。

相手エースがレフトからストレートに強烈なスパイク。
これを一年生がファインプレー。
それをバックセンターがカバーし、相手コートへ。
今度は速攻フェイントでポイントを奪いにかかるが、
バックセンターがいち早く察し、落ちそうなボールを拾い上げると、
エースがバックアタック。
そしてこれが決まる。

飛び跳ねて喜ぶ子供たち。

そういえば、先生は“喜び方”にもこだわっていた。
大きく喜ぶことで、チームは勢いに乗り、
大きく喜ぶことで、チームから“勝利”へのオーラが出始める。

彼女たちは教わった“全て”を出していた。

試合が終盤に向かうにつれ、ラリーが多くなってきた。

17対7から、相手のスピード溢れるサーブが一年生を襲う。
それを大きく弾いたが、もう一人の一年生がそれをフォロー。
このプレーをキッカケに、ラリーが始まった。
相手のスパイクをコートスレスレで拾い上げ、エースがアタックで返す。
伊東南中も意地を見せ、体を投げ出しながらボールを拾い上げる。
ボールは、お互いのコートを行き来した。
11回続いたラリーの末、三ヶ日中がポイントを獲得。

18対7。

サービスエースで、
19対7。

サーブをネットにかけ、
19対8。

勝負を懸けた強烈なストレートへのアタックは、惜しくもアウト。

19対9。

相手の鋭いサーブが一年生を襲うと、目の前で急激に変化。
それに一年生が飛びついてカット。
そのボールはフラフラとチャンスボールになり、相手コートへ。
それを相手エースがダイレクトで強烈なアタック。
そのアタックをバックセンターが体で上げると、最後はエースが決めた。

飛び跳ねて喜ぶ子供たち。

20対9。

勝利は目前。
だが、本当は寂しかった。
あと5点取れば試合は終わる。
それは先生との“別れ”を意味する。
それを思うと、純粋に得点を喜ぶことができず、ただただ涙だけが溢れだした。

「この時間がずっと続けたいいのに」
とめどなく溢れる涙をそのままに、心の底からそう思った。

たぶん、先生も同じ気持ちだったと思う。
口元を手のひらで覆ったまま、バレーコートをじっと見ていた。
汗と涙が染み込んだ、三ヶ日中学校の体育館を。


再び相手エースがクロスへ鋭角なアタック。
それを一年生が体をぶつけるようにしてボールを上げると、
必死で繋いだそのボールを、エースが全身全霊を込めて相手コートへ打ち込む。

21対9。

この後もエースが決め、

22対9。

相手は鋭いカットからエースへ。
ここでエースは意表を突くフェイント。
完全に決まったと思ったが、一年生が飛び込み、左手一本で上へ。
チャンスボールが相手へ返る。
今度はストレートへ強烈なスパイク。
これにもう一人の一年生が飛び込み拾い上げる。
再び相手にチャンスボール。
今度は大きく振られ、フリーの状態からアタック。
こればっかりは「決まった」と思ったが、
バックセンターが滑り込みながら拾い上げる。
四度、相手のチャンスボール。
強烈なスパイクがブロックに当たり、ボールは大きくコートの外へ。
だがここでも諦めずに追い、手には当てたものの、相手に得点を奪われた。

「我慢しろ!」
先生がプレー中によく発した言葉だ。
「我慢していれば必ずチャンスは来る。だからここは我慢だ」とよく言っていた。

我慢のプレー。
それも“全て”出せているような気がする。

今までの中で見せた“最高”の試合。
それは間違いなく、この試合だ。

この時、伊東南中の選手たちは思っていただろう。
「三ヶ日から1点を取るのはなんて大変なんだろう」と。


そして遂にマッチポイントを迎えた。

背番号1の一年生がサーブを打つ。

丁寧なサーブカットから相手のエースがアタック。

1番が拾うと、エースがアタック。

厳しいコースへ飛んだが、相手が飛びつき攻撃へと繋げ、エースがアタック。

バックセンターの6番が拾い攻撃に繋げるが、アタックはブロックされる。

が、このブロックを上手くフォロー。


このラリーを茫然と眺めていた。

「ずっと続けばいいのに」

そんな思いで眺めていた。


相手エースのアタックが乱れた。

我慢を続けた三ヶ日中のチャンスボール。

エースが自らこのボールを丁寧にセッターへ返すと、
セッターから、素早いトスが上がった。
センターの位置から、エースが高く舞い上がり、体を反らせると、ボールを相手コートに叩きつけた。

子供たちは一瞬喜んだ後、すぐに手で顔を覆った。
溢れだす涙を我慢することができなかった。

先生も泣いていた。
ジャージの袖で涙を拭くが、次々と溢れだす涙を拭いきることはできなかった。


先生と選手が応援席に来てくれた時、子供たちに花束を渡した。

「先生に…」

実はこっそりと、チームカラーであるオレンジ色の花束とアオ色の花束を、6束用意していた。
子供たち一人ひとりが手渡せるように。


先生との最後の大会とはいえ、これは東海大会。
あまりにも私的かとも思ったが、本部に閉会式がないことを確認した上でのサプライズだった。
本当に、本当にお世話になった先生との“最後”の試合。
勝っても負けても、何かをしたかった。
先生の心に生涯残る“何か”を。

東海大会とはいえ、これは“ただの”下位トーナメント。
他のチームには大きな意義はなかったかもしれない。
ただ、我々にとっては何よりもかけがえのない、生涯で最も大切な試合だった。


子供たちは涙でほとんど言葉にならなかったが、
ひとりずつ先生にお礼をいい、花束を手渡した。

会場となった三ヶ日中学校体育館は、むせり泣く声と、温かい拍手に包まれた。

他のチームの父兄、大会関係者の皆さんも拍手してくれていた。


三ヶ日中女子バレー部はさまざまな要因があったものの、
廃部寸前の“6人”になってしまった。
その要因のひとつに“厳しい練習”というモノがあったのかもしれない。
先生も、「練習が厳し過ぎるから人が入らないんじゃないか」と揶揄されたかもしれない。
だがその厳しい練習の先にこそ、信じられないほどの“感動”がある。


だからこそみんなに見てほしかった。
我々の先生は選手に愛され、父兄に愛され、そして地域に愛されていたことを。


こうして、先生と子供たちの“奇跡の物語”は幕を閉じた。


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