自分の知る範囲では、ピッチャーの投球制限は一日7イニングまで。
準決勝で5イニングを投げた。確かにあと2イニング投げられる。
しかしながら相手はスター揃いの“強豪”引佐。
コウタの先発はただの“リスク”でしかない…。
そんな風に思っているのは自分だけではない。
他の父兄も、「なぜ?」という雰囲気が漂っていた。
最大の目的であった“シード権”は獲得した。
ちっぽけな大会とはいえ、決勝という大舞台。
コウタが投げる必要な全くない。
理由がわからなかった…。

再び“まっさら”なマウンドに上がったコウタだが…。
周囲の心配をよそに、比較的安定した立ち上がりをみせ、初回を無失点に抑えた。
(ふう、あと1イニング…)
2回も安定していた。
四球でランナーを出すも、得点を奪われる雰囲気はなかった。
この回も守備陣に助けられ無失点。
これで投球制限の限度を投げた。
良かったというよりも、あったのはただの“安堵”のみ。
内容は決して褒められるものではなかったが、充分過ぎるほど役割を果たした。
あとは“本物”のピッチャーにマウンドを託せばいい。
(お疲れ様!)
安堵から周囲の父兄と談笑をしている間に、グランドでは驚きの出来事が起こっていた。
なんとコウタがマウンドに上がっているのだ。
「あれっ!?なんで!?」
コウタは7イニングを投げた。
もう投げられないはずにも関わらずマウンドにいた。
実は詳細はわからない…。
この大会だけなのか、はたまた来年から規定が変わるのか、理由はわからない…。
ただひとつだけわかったのは、決勝戦前に監督が審判部に確認していたのは“このこと”だったのだ。
とにかく、この日の投球制限は7イニングではなく“9イニング”だった。
4イニング投げればOKと言われていたはずが、“想定外”の8イニング目に突入。
しかし、この回は“荒れた”…。
疲労からか、上半身と下半身がバラバラになり制球を乱しまくった。
なんとかツーアウトにこぎつけたものの、もはや限界…。
遂に「ピッチャー交代!」
“本物”のピッチャーのユウキがマウンドへ上がり、コウタはセンターへとポジションを変えた。
ユウキがピンチを凌ぎ、この回も無失点。
ホントによく投げた!
ランナーはたくさん出したが、ピッチャーの仕事はランナーを出してから始まる。
動じることなく、自分のできることを精一杯やった。
観戦されていた方は、「しょぼいピッチャーだなあ~」と感じられたと思うが、コウタはこんなもん。
これがこの日にできた目一杯のピッチングだった。
試合はというと、三ヶ日中が2点を先制し2対0でリード。
4回の引佐の攻撃へと移る。
するとここで再び“衝撃”が!!
またもやコウタがマウンドに上がったのだ!
ホントの最後となる投球制限ギリギリの9イニング目。
何が起こっているかわからなかった。
こうなるともはや考えられることはひとつしかない。
“期待されている!”
今までコウタはプレイヤーとして期待されたことは“一度も”なかった。
小学校時代は一度もリレーや水泳の選手に選ばれたことがない。
野球をやっている子たちは、ほとんどの子がこういったことを経験していると思うが、運動能力が低いコウタは一度も経験したことがない。
学童野球の時に期待されたのは“キャプテン”としての役割。
みんなをまとめ、チームに目標を与え、チームに魂を吹き込み続けた。
卒団の際には、皆さんにお褒めの言葉を数多くいただいた。
それは全て“キャプテン”としての力についてのもので、プレイヤーとしてのモノではなかった。
自分も同感だった。
中学でも同様の役割を期待していた。
試合に出られなくとも、野球を続けることで人間として成長できると思っていた。
厳しい練習に仲間と共に乗り越えることで、“生涯の友”を見つけられるかも、とも思っていた。
そもそも、コウタの親である自分も運動能力が低かった。
体格もコウタ同様、ガリガリだった。
小学生の時は野球と剣道をやっていた。
少しだが、水泳もやっていた。
やってはいたのだが、全てが“嫌い”だった。
体が小さいため、何をやっても上手くできない。
気付けば一生懸命やることをやめていた。
そんなある日、夜中に放送していたスポーツに目が釘付けになった。
その瞬間、やったこともないそのスポーツに心を奪われた。
中学生になり部活を決める際、そのスポーツをやろうと決めていた。
だが、そのスポーツは人気が高く、入部テストがあった。
スポーツテストを行い、その成績上位がまず入部。
残りは“くじ引き”だった。
こんな運動音痴がスポーツテストで受かるはずもなく、くじ引きに全てを懸けた。
くじ引きが当たり、なんとか入部できた。
スポーツがからっきしダメだった自分だが、そのスポーツだけはすぐにできた。
上達も早く、さまざまな大会でそこそこの成績を収めることができ、結果的に大学まで続けた。
ホントに楽しかった。どんなに厳しい練習にも耐えられた。
気付けば一生懸命やっていた。
何事に対しても。
たったひとつのスポーツに出会ったことで“全て”が大きく変わった。
スポーツが心の底から“好き”になった。
こんなに人生に彩りを与えてくれるモノは他にはない。
スポーツを好きになっただけではない。
考え方そのものが変わった。
スポーツを通じて手にしたモノは努力の過程で生まれる“自信”。
その自信こそが人生を正しい方向へと導いてくれる。
コウタにも“自信”を持って欲しかった。
本物の自信を。
すでに自信に溢れているコウタだが、その自信は全て学童野球からもらった。
学童野球での頑張りが、ただの運動音痴というイメージをスポーツ選手へと変えた。
自分の人生を大きく変えたあるスポーツとの出会い。
コウタにとってそれは“野球”なのだと思う。
どこの中学校でも野球部は一目置かれる存在。
野球が盛んな三ヶ日では特にその傾向が強い気がする。
そんな部活に身を置けばさらに“自信”を持てると思った。
試合に出る出られないはそんなに重要ではない。
過程こそが重要だった。
その過程にこそ“本物の自信”が隠されている。
まだ駆け出しだが、コウタは野球からたくさんのモノをもらった。
そしてこの日、“また”新しいモノをもらった。
それはプレイヤーとしての“期待”。
おそらく県内でもっとも遅い球を投げる「背番号1」。
その球のせいで、小学校の時は何度もピッチャーを“クビ”になった。
その球のでいで、相手ベンチからは失笑を買い、相手チームからも笑われた。
そんな球を、チームの監督とコーチは“期待”してくれた。
コウタが初めて“プレイヤー”として期待されたのはマウンドだった。

この日“最後”となるこのイニングは危なげなく無失点!
8イニング目にワンポイントで助けてもらったものの、自身最長となる9イニングを投げることができた。
四死球は7つほどあったが、なぜかほとんどヒットを打たれなかった。
三振も5、6奪うことができた。
監督・コーチの「予想通り」かどうかはわからないが、数字上は“出来過ぎ”だった。
内容は別として、目標とする“10被安打無失点”に近い結果を残すことができた。
これで、今度こそお役御免。
4回を終えて2対0で三ヶ日がリードのまま試合は終盤へ。
三ヶ日のマウンドにはユウキが上がった。
つづく