金本の引退記者会見は以下のとおり
――率直な今の気持ちは?
「う~ん、ホッとした気持ちもありますし、悔いもありますし、寂しい気持ちもありますし、いろんな気持ちが混ざってますが、ホッとしたのがかなりを占めてます」
――悔いはあるか?
「悔いは悔いでもいろんな悔いがあると思いますけど、若い時にもっとバットを振っておけばとか、もっと練習していればとか。肩をけがしてからは、何とか全盛期に匹敵する数字を出したかったが、出せなかった」
――引退を決めたのはいつ?
「実際いつかは分からないけど、10日前ぐらいから考え始めていた。本当の決断はおとといですかね」
――理由は?
「たくさんありますし、自分に対する限界かなって思いもありますし、若手が出てきてる時代の中で良いパフォーマンスを残せなかった」
――なぜこのタイミング?
「う~ん、ちょうど10日前、勝手に日にちを設定した。本当は試合の無い、移動日が良かったんですが、(新聞)記事が先行するのも嫌だったので」
――監督にはいつ伝えた?
「昨日の試合前ですね。『もう決めたのか? 2003年から一緒だったし、来年も再来年もどんな形になってもカネと一緒にタイガースのためにやっていくと思っていた』と」
――それを聞いてどう思ったか?
「肩をけがしてから、気を使ってもらったし、復活に期待してもらったのに応えられなかった。すみません」
――改めて21年間を振り返って?
「もっとやっとけば、もっと良い数字を残せたんじゃないかという気持ちと、よく頑張ったなぁという思いもあります。この3年間は惨めでみっともなかったし、プロに入って最初の3年間と最後の3年間はこんなに苦しい時があるのかなと思った」
――記憶に残っているのは?
「あり過ぎて一言で言えないですけど、練習がきつくてついていけなくて苦しかった思い出もある。レギュラーになってカープで優勝できなかったのが残念。FAでタイガースに来てからは、いきなり優勝させてもらって、歴史の中でも一番強くて一番お客さんが入った時で幸せだった」
――記録の中で誇りは?
「後輩たちにいつも言ってるのは連続無併殺記録。全力で走ることができたことが連続フルイニングより誇りに思う」
――田淵幸一氏(現東北楽天ヘッドコーチ)と並んでいるホームラン記録については?
「シーズンが始まった時は楽勝で抜けると思っていたが、何とかあと1本打ちたいですね、ホントに」
――家族の反応は?
「子供に言ったら大泣きしてました。母に一番最初に伝えた」
――ファンに対しては?
「かなり落ちぶれてからバッシングが多かったけど、こんな成績でも一生懸命励ましてくれて……弱った時に支えてくれた人は恩義に感じます」
――自身にとって野球とは?
「長嶋(茂雄)さんじゃないですけど、人生そのもの。10歳で始めて7割、8割がしんどいことで、残りの2割、3割の喜びというか充実感を追い続けて苦しんだ。そんな野球人生です」
最も印象的だったのは「7割、8割がしんどいことで、残りの2割、3割の喜びというか充実感を追い続けて苦しんだ」という言葉。
打率という結果に置き換えて出た2割、3割の喜びだったのかもしれないが、“たった”2、3割の喜びのために耐え抜いた7、8割。野球とはそういうスポーツなのかもしれない。
1試合のうち、打席に立つ機会は3、4回。守備機会については一度もボールがこない場合もある。
だがその“たった”3、4回の打席、一度もこないかもしれない守備機会のために、何千、何万とバットを振り、何百、何千とノックを受ける。それは何万どころか何百万、何千万、何億なのかもしれない。
全ては“たった”2、3割の喜びのため。
金本、プロ野球選手だけではなく、我々が送る人生もきっと同じことのような気がする。
“たった”2、3割の喜び(成功)を掴むためには、7、8割は苦しみ、耐えなければ掴むことはできないような気がする。
やることの半分が上手くいくうちはまだまだやれるはず。
やることのほとんどが上手くいくと思っているのなら、それは全く能力を活かしきれていない。
きっとそうだ。
「もっと若いうちにバットを振っておけば…」という言葉も心に染みた。
金本に対するイメージは“練習の鬼”。
そんな金本の後悔は「もっと練習をすれば…」という言葉。
悔いが明らかにあっての引退。
手を抜かずに“目一杯”頑張ったからこそ残る“悔い”…。
自分も“最後”はこうありたい、と思った。
悔いを残すほど目一杯生きたい。
「今日は目一杯頑張れたか?」
日々、自分に問いかけていきたいと思った引退会見だった。

こんな日が来るなんて想像もしていませんでした。
でも、こんな生き方が理想かもしれない。