愛読している「スポーツグラフィック・ナンバー」の804号に、野茂英雄の独占インタビューが掲載されていた。
先に言っておくが、別に野茂英雄が好きな訳ではない。
(無論、嫌いではないが…)
隔週で発行される“この”雑誌は、いつも何気なく購入し、車の中に置いておき、信号待ちの間に、気になった記事から少しずつ読み進めるのだが、読み終わるまでに一週間程度かかる。
要するに“暇つぶし”。
野茂のインタビュー目当てで買った訳ではない。
そもそも信号待ちが嫌いだ。
信号待ちというよりも、待つこと全てが嫌いなのだ。
待っている時間は“無駄”に思える。
できるだけ、無駄なことはしたくない。
そんなことを思っていたら、いつからか、信号待ちの間に雑誌や本を読むようになっていた。
本に夢中になり、信号が変わったことに気付かずにクラクションを鳴らされたり、知り合いが隣の車線で手を振っていても気が付かなかったりもするが…。
記事のタイトルは「最強投手進化論。」
キャッチコピーは「投手の原点は変わらない」
「…進化論」なのに、「…原点は変わらない」
実に矛盾した、首を傾げたくなるようなタイトル…。
しかし、実に興味深いことが書いてあった。
「ここに投げればいいんですよ」
この一行から記事は始まる。
“ここ”とはど真ん中のことだった。
「バッターなんてどうせ打てない。100%打たれることなんかない」
と野茂は言いきっていた。
8ページに渡って組まれていた記事の内容は“これ”のみ。
大したことは何も書いてない。
だが、目から鱗が落ちる想いだった。
一般的に“投手論”というと、実に難解なことが多かった。
難解というよりも“難儀”と言ったほうが的確かもしれない。
例えば、(記事中にも出てきたが)「初球の入り方が大事」だとか、「立ち上がりが大切」だとか、実践しようと思ってもなかなか実践するのが難しいモノがほとんど。以前読んだ「野村ノート」には、「アウトロー=原点」とあり、そこに投げられない投手は失格だ、と書いてあったと記憶している。
これらを始め、ピッチャーの在り方は、実に難しく論じられてきた。
しかし、野茂は「ど真ん中に投げられればいい」と言う。
意識したことは、基本的に「できるだけバッターの近くでボールを離すこと」だけだと言う。
考えてみれば、野球は、ピッチャーがストライクを投げないと始まらない。
ストライクを投げないと試合が進んでいかない。
「当たり前だ!」と言う人もいるかもしれないが、今まで誰も論じてこなかった。
一流の投手になればなるほど、事を難解にしてきた。
野茂が言うからこその説得力なのだが、実に“しっくり”きた。
野茂が言う、投手の原点とは“ど真ん中”!
ピッチングは思っている以上に“シンプル”なモノなのかもしれない。

マウンドで極度のプレッシャーと戦っているピッチャーに、「もっと低く!」とか言うのは、やっぱ酷じゃないかな…。