先日、自宅に「読売巨人軍」から封筒が届いた。
「?」
と思いながら封を開けると、
中には坂本勇人のベースボールカードが!
しかも直筆サイン付き!!
ファンレターを送った人全員に贈られていそうだが、明らかに“直筆”のサインが書かれている。
クライマックスシリーズ後、数々のファンフェスタやテレビ出演の後、すぐさま自主トレ、キャンプと一体いつ書いたのだろうとも思うが、とにかく直筆サイン入りのベースボールカードが贈られてきた。
コウタが事故った後の9月、親として何か勇気付けられることはないかと考えていた。考えていたというより、考えることで気を紛らわしていた。何かを考えていないと辛くなったのだ。
“野球がらみ”で何かを探していた。
この時点では、コウタの状態がどの程度戻るのかは分からなかったが、野球を目標とすることで、懸命に直そうと努力する気がしていた。野球を目標にすれば直る気がした。とにかく明確な目標が欲しかったのだ。
コウタは巨人ファンで、坂本勇人の大ファン。
「坂本がらみにしよう!」
とは決めたものの、坂本グッズはほとんど持っている。
坂本へ手紙を書くことにした。
坂本はプロ野球界きっての人気選手。読まれないことは承知の上。でも何かをしないと心が折れそうだったのだ。
手紙を出したのは9月下旬。
年が変わる頃には完全に諦めていた。残念ではない。そもそも無理だった。そう思っていた。
そんな中でベースボールカードが贈られてきた。
よくよく考えれば、手紙を出した人全員に贈られるばずがない。坂本へのファンレターの数は想像を絶する枚数のはず。となれば、無作為に人を選んで贈るか、内容を読んだ上で選択して贈るかのどちらかだ。
当然、ランダムに人を選んで贈っているのだろう。でもどこかで「読んでくれて励ますために贈ってくれた」と思い込みたい自分がいる。
拝啓
坂本勇人様
ペナントレースも佳境に入り、お忙しい中、突然のお手紙申し訳ございません。
どうしても坂本選手に息子を元気づけて欲しく、不筆ではございますが、筆をとらせていただきました。
私の長男で小学校5年生の航汰(こうた)は坂本選手の大ファンです。遊びに行くときはいつもジャイアンツの帽子を被って、坂本選手のTシャツを着て、坂本選手のリストバンドを付けて出掛けていきます。
今年は、なかなか東京ドームに行けませんが、先日ナゴヤドームに坂本選手を観に行きました。坂本選手が中日の山井投手から9回にホームランを打った試合です。試合に負けたのに、坂本選手がホームランを打ったので、とても喜んでおりました。
航汰は小学校3年生から少年野球チームに入っております。
幼稚園の時からサッカーをやっていたのですが、「ピッチャーをやりたい」と父親に自分で言い、「ピッチャーをやれるように頑張るなら」と父親と約束し、それからはずっと野球に打ち込んでおります。非常に真面目に、とても一生懸命野球に取り組み、始めた頃は10m位しか投げられなかったボールを、今では50m近くまで投げられるようになりました。6年生の試合でもたまにレギュラーで出させていただけるほど上達してきました。もともと体力がない方ので、マラソン大会などでの下から数えた方が早かったのですが、今では先頭集団でゴールするようになりました。5年生の大会では、キャプテンで、4番バッターを任される程になりました。9月4日から新たな5年生大会が始まることもあり、より一層張り切って練習に打ち込んでいました。
そんな中、8月25日の練習後、交通事故に遭いました。自転車の航汰が車と正面衝突しました。車のフロントガラスが割れるほどの大事故です。3mほど飛ばされたそうです。航汰は救急車ではなく、ドクターヘリで病院へと搬送されました。背骨から腰にかけて折れている可能性があるというのがその理由でした。
幸いにも、頭から背中、腰などに異常はありませんでした。グローブやタオルなどを入れていたバックを背負っていたため、クッションの代わりをしてくれたのかもしれません。
しかしながら、右腕は上腕から手首近くにかけて筋肉が断裂し、左手首は骨折していました。航汰は左投げです。医師からは「野球はできるようになると思いますが、ピッチャーは難しいかもしれない」と言われました。
事故後、ベッドに横たわる航汰に面会した時、私達への第一声が「今日ピッチャーの練習したよ。次の試合投げるって言われたよ」でした。通常であれば「痛かった」や「怖かった」などなのでしょうが、「ピッチャーの練習をした」が第一声でした。目標にしていたピッチャーをやれるのがよほどうれしかったのでしょう。うれしさのあまり、自転車のスピードがいつも以上に出てしまい、止まるべき所で止まれなかったのかもしれません。すぐそこまで来ていたピッチャーが、再び遠ざかってしまいました。
友達がお見舞いに来てくれたのですが、両腕をギブスで固定された姿を見て、みんながみんな言葉が出ませんでした。そんな時、航汰からみんなに「次の試合の相手はあそこだから勝てるよ」、「ボクのポジションは誰がやるのかね」など野球の話を笑顔でしていました。次第に友達も話をするようになり、「優勝できるように、航汰くんの分もみんなで頑張るよ」と言っていました。
みんなが帰った後、航汰は泣いていました。「試合に出たかった。せっかくピッチャーだったのに」。私も涙が止まりませんでした。
航汰にとって野球はとても大切なものです。野球でついた自信が学校活動でも活かされ、成績も上昇し、学級委員長なども任されるようになるなど、とにかく人間的に大きく成長しました。
親バカなのはわかっていますが、なんとかもう一度、いや今度こそ「ピッチャーをやって欲しい」と願っております。医師の診断のことはありますが、航汰ならきっと乗り越えられると思っております。しかし、そのためには今まで以上の頑張りが不可欠です。航汰が今まで以上頑張れるように、坂本選手からメッセージをいただけませんでしょうか。親である私が、頑張る息子のためにできるのはこんなことしかございません。ご無理を承知でのお願いでございます。息子共々、今後も坂本選手を応援することに変わりはございません。何卒、ご検討いただければと存じます。長々と綴り、申し訳ございませんでした。今後もより一層のご活躍を期待いたしております。
敬具