「お別れ大会」終了後、三ヶ日東小学校の会議室へ移動し、慌ただしく準備。
前日にほとんどの準備を終えていたつもりだったが、意外と手間がかかった。
前日行った準備は、座席作りからパネル、記念品の搬入、スライドショー上映のためのプロジェクターの設置などなど。
6年生は、監督、コーチ、お父さん、お母さんへ贈る「記念ボール」へメッセージを書き込む作業をした。
メッセージとしてどんなことを書くのか興味があったのだが、それは当日のお楽しみ。
監督、コーチ、在団生、ご父兄が揃ったところで準備完了。
いよいよ卒団生が「入場!」

予想外に“緊張感”ゼロ…。

緊張からか、それとも照れくさいのか、“笑い”が止まらない…。

コウヘイにいたっては、笑いすぎで疲れている…。
涙の「卒団式」になると思っていただけに、完全に拍子抜け…。

席についても、“涙の予感”はゼロ…。むしろダレきっている…。
式は淡々と進む…。

監督の顔見過ぎ…。

サトシはチーム史上3人目の“三冠王”!
チームとしては史上“最高のチーム打率”だったらしい。
年間の成績表を見てびっくりしたのだが、けっこう勝っていた。
接戦となった試合は、ほとんどが勝利。
負け試合は、ほとんどが“コールド”的な負け。
子供たちにずっと言い続けてきたことがある。
「接戦は“絶対”に勝たなければならない。負けても得ることはあるかもしれないが、勝つ方が“圧倒的”に得ることが多い。負けるなら“大敗”だ」と。
結果的にそうなっているとは全く思わなかった。
試合を観ていて「感動した」し、首脳陣から「凄く面白いチームだった」と言われた要因だろう。
式は淡々と進む…。

キャプテンの引き継ぎ。コウタから、新キャプテンとなるキョウスケへと「背番号10」と「倉庫の鍵」が渡される。
コメントを求められたふたりは“まごまご”しっぱなし…。
グランドでは頼もしいが、コレを観る限り、“只の”子供…。
式は淡々と進む…。
スライドショー上映。
ここでは「フレンズ、県大会へ行く。」をプロジェクターを利用して流した。
※スライドショー「フレンズ、県大会へ行く。」↓
www.youtube.com/watch?v=IYid4Ub4YWA
監督やコーチ、子供たちも、楽しそうに観ていた。
式は淡々と進む…。
卒団生の「お礼の言葉」。
コウタはキャプテンのため、長めにお礼の言葉の言うため、思いを紙にしたためていた。
なかなか上手くならず、監督やコーチから“叱咤”されていた頃のことから始まり、
考え方が変わるきっかけとなった「三ヶ日大会」での大敗のこと、
明確な目的を持つことができた「JA杯」での惜敗のこと、
そして「県大会」に出場できたこと。
みなさんのお陰で頑張れたのだとお礼を言った。

コウタは感極まっていた。
原稿を持った手は小刻みに震え、言葉に詰まり、なかなか原稿を読めずにいた。
原稿には大粒の涙が落ちる。
それでも言葉を続ける。
「ユウ、副キャプテンとしていつもサポートしてくれて、そして外野リーダーとして外野をまとめてくれたね。ユウ、ありがとう!」
6年生に対してもお礼の言葉を用意していた。
何度も何度も言葉に詰まりながら、言葉を続けた。
本人にしゃべりかけるように、言葉を続けた。
卒団生の父兄もみんな泣いていた。
ユウの練習に取り組む姿勢はみんなのお手本だった。
常に全力で、手を抜くことなく、自分を高めることに力を注いだ。
試合でも“1番打者”としての役割を十分理解し、それを全うすることができた。
フレンズの終盤の逆転劇は“いつでも”ユウの出塁から始まった。
接戦をモノにすることができたのはユウのお陰。
ユウ、ありがとう。
「サトシ、サトシがいなかったら、僕たちはきっと“勝つ喜び”を味わうことはできなかた。サトシがフレンズにいたからこそ、僕たちはフレンズでいられた。サトシ、ありがとう!」
フレンズはサトシの“ワンマン”チーム。特に6年生は“サトシとその仲間たち”だ。サトシはチームの大黒柱として、過度なプレッシャーに晒されながら、本当によくやってくれた。勝つ喜びは、いつもサトシが与えてくれた。
サトシがいたことで、チーム力はワンランクもツーランクも上がり、「どことでも戦える」と思わせてくれた。
さらにサトシは、仲間を見下すことも、バカにすることもなく、常に“チームメイト”を大事にしてくれた。
そんなサトシの優しさに触れ、みんな頑張ることができた。
サトシ、ありがとう。
「サトウ、サトウが打たなかったら“奇跡的”な逆転劇はなかった。サトウが打たなかったら県大会には行けなかった。サトウ、ありがとう!」
エイスケの目からも涙が流れ落ちた。
エイスケは上達が最も遅かった。
5年生になっても一人だけ下級生に交ざって、フライを捕球する練習を繰り返していた。
エイスケの名誉は与えられたモノではない。
エイスケがエイスケ自身で勝ちとったモノ。
Z会旗杯の支部予選、三ヶ日ジュニアファーターズ戦でエイスケが打ったホームランは、全ての人の心に、しっかりと刻まれている。
エイスケ、ありがとう。
「ゲン、ゲンはずっと僕のライバルでした。ゲンが居たから頑張ることができました。ゲン、ありがとう!」
“ゲン”ことコウヘイは、コウタの幼馴染み。保育園からずっと一緒だ。
家が近いこともあり、いつも一緒に遊んでいた。
野球を一緒に始めてからは、いつも近くの広場で一緒にキャッチボールをしていた。
それが、上級生になるに従い徐々に減り、6年生になる頃には、お互いキャッチボールをしなくなった。
同じ広場で、お互いグローブを持っているにも関わらず、決してキャッチボールをしなかった。
仲が悪い訳ではない。他の遊びは以前と変わらず一緒に遊ぶ。
ただ、野球は一緒にやらなかった。
この二人はサトシに次ぐ“2番手ピッチャー”を争ったふたり。守備時のポジションもファーストで被っていた。
お互い意識をしていたのだ。
コウタの口癖は「ゲンにだけは負けたくない」。
紛れもなく、コウヘイのことをライバル視していた。
コウタが頑張れたのは、常に先を行っていたコウヘイに追いつこうとしたから。
コウヘイ、ありがとう。
会場から拍手が沸き起こる。
涙をすする声も聞こえる。
コウタはぎこちなく頭を下げ、所定の位置に戻った。
本当は、試合に出てくれた下級生、いつも一生懸命に応援してくれた下級生、監督、コーチにもお礼の言葉を用意していたのだが、拍手が巻き起こったために、話を終えた。
4番を打ってくれたキョウタロウ、セカンドを守ってくれたヒロキ、ライトを守ってくれたタツヤ、怪我がなければレギュラーキャッチャーだったキョウスケ、4年生ながら守備の要として活躍してくれたコウスケにもお礼をいいたかったのだ。
その後は「記念品授与」が行われた。

子供たちが感謝の言葉と共に、父兄に「記念ボール」を手渡す。
果たしてどんなことが書いてあるのか…。
最後は監督が一人ずつと握手して退場。

笑顔がこぼれる。

最後のコウタは両手で“がっちり”と握手し、深々と頭を下げた。
6年生が会場を後にする。

コウタの「背番号10」はこれで見納め。
当初は全く似合わなかった「10」だが、最終的には、こんなに「10」が似合う子はいない、と思えるほどになっていた。
そもそも“キャプテン”にどれほど意味があるのか分からなかった。
試合前にジャンケンをする、ただそれだけの存在だと思っていた。
それが実際は“違った”。
常にチームメイトに気を配り、苦しい時にはチームを鼓舞し、最後まで諦めない姿勢を打ち出す。
見知らぬ人にも大きな声で、真っ先に挨拶した。
その姿勢はチームに伝染し、いつしかチームの“色”となっていた。
チームカラーは“キャプテンが作り出すこと”だと学んだ。
コウタに教えてもらったのは、“人生に無駄はない”ということ。
一見、遠回りだと思えることも、実は近道だったりする。
困難にぶち当たった時、それを乗り越えることで大きな成長を遂げる、ということを教えてもらった。
ひとつひとつは小さな力でも、団結することで大きな力を得られることも、ひとりで達成するよりも、みんなで達成した方が喜びが大きい、ということも教えてもらった。
そして、諦めなければ“奇跡”はすぐそこにある、ということも教えてもらった。
本当に、ほんとうに、
「良くできました!」
式の後は、昨年まで指導していただいたコーチの元へと行き、卒団の挨拶をし、“いつも”のラーメン屋さんで食事会。
お父さんたちは、餃子をつまみにビール片手に想い出話。
子供たちは餃子や唐揚げなど思い思いのモノを注文し、シメでチャーハンやラーメンなどを頼み、お腹一杯になるまで食べ続けた。

サトシにいたっては、“シメ”のはずの「チャーシューメン大盛」を“まさか”のおかわり…。
その後、お父さんたちは、帰宅する子供とお母さんを尻目に“いつも”のスナックへ。
閉店になるまで、想い出を大いに語らいあった。
こうして想い出話をするのは何度目だろう。
これは何回話しても尽きることはない。
途中からは子供の“進路”についての話になった。
コウタは未だ中学での部活が決まっていない。
入部届けを出すのは5月のようで、まだまだ先の話だが、“当然”気になる。
何度か本人に聞いたことはあるのだが、いずれも“イマイチ”な答えが返ってきていた。
コウタが「野球をやりたい」と言い出した時は、中学校でもやって欲しい、などとは全く思わなかった。無理だ、とも思っていた。
それが今では、野球を通じて“驚くほど”成長したコウタを見ると、「中学でもやって欲しい」という気持ちが“ドンドン”強くなっている。
それは「もっと上手くなってほしい」とか、「中学でも活躍してほしい」とかいう類のモノではない。
もちろん上達はしてほしいし、活躍もしてほしい。
しかし、最も期待するのは「人間としての成長」。
正しく、真っ直ぐに、健やかに成長してほしい。
あるのはただそれだけ。
無論、それは他の部活でも可能だろうが、野球が最も“近道”のような気がしている。
そんなことを思いながら帰宅した。
リビングに入るとテーブルの上に、卒団式でコウタに渡された「記念ボール」が2つ置いてあった。
「お父さんへ」と「お母さんへ」だ。
見てしまっていいものか、少し迷ったが、開封し、コウタからのメッセージを見ることにした。
最初に開封したボールは「お母さんへ」のメッセージだった。
サポートしてくれたことに対する感謝の気持ちが書いてあった。
「いろいろ助けてくれてありがとう!これからもよろしくね!」
恐る恐るもうひとつのボールを手に取った。
(一体、何が書いてあるんだろう…)
意を決し開封した。
そこにはこう書いてあった。
「野球を教えてくれてありがとう!」
多少拍子抜け…。
そもそも野球を教えたつもりはない。
“一緒”に野球を勉強したつもりだ。
できるだけコーチの言葉に一緒に耳を傾け、自分でも実践し、分かりやすい表現を探した。
コウタにやったことはただそれだけ。
“ひょい”っとボールの裏側を見た。
それを見た瞬間、“じわ”っと涙が溢れだした。
溢れる涙をそのままに、少しだけ笑みを浮かべ、その言葉を“じっ”と見つめていた。
ボールにはこう書いてあった。
完/空飛ぶ野球少年 ~フレンズ編~