先生が赴任されてきたのは5年前。
その時の三ヶ日中女子バレー部は、県大会に行けるかどうかのチーム。
全国大会出場経験もある三ヶ日中だが、長い間低迷していた。
少子化にくわえ、ゆとり教育の影響か、野球部や女子バレー部などの厳しい部活は敬遠される傾向にあった。
そんな状況の中、就任の翌年には県大会出場。
その翌年からは、3年連続で東海大会に出場するまでの“名門”として復活させた。
「信念がないのが信念」という先生は、
一般的に“バレーの常識”といわれる概念を徹底的に見直し、
短時間で成果の出ると思われる練習、他のスポーツのものでも、いいと思われるものは何でも取り入れた。
週末は必ずと行っていいほど練習試合へと出掛けた。
さまざまなタイプのチームと実戦経験を積むべく、岐阜や三重など、遠方へも頻繁に出掛けた。
練習試合で欠点を洗い出し、平日の部活でそれを修正。
それを繰り返すことで、徐々に強さを身に付けていった。
子供たちの体格、能力は年ごとに違う。
そのため、毎年毎年、全く違うチームをつくり上げ、
結果を残してきた。
女子バレー部の子たちには、学校でもリーダーであることを、中学生の見本であることを求めた。
よって、学校でも中心的な役割を担うことが多くなり、それが、強豪チームとしての礎になった。
心の底から信頼していた。
子供も、そして親も。
ここまで先生を信頼できるのは、自身の経験の中でも“初めて”だった。
そんな先生の突然の異動。
親は動揺した。
ただ、子供たちの動揺は、もっと激しいモノだった。
平成26年3月21日。
『東海新人大会』開幕。
会場は“なんと”三ヶ日中学校。
東海大会クラスの大会が中学校で行われるのは実にレアケース。
たぶんだが、湖西のアミニティプラザがおさえられなかったからだろう。
とにかく、先生との最後の大会は目標としていた『東海大会』。
そして会場は“三ヶ日中学校”という、最後に相応しい舞台となった。
試合当日の三ヶ日中学校には、非常に多くの父兄やOG、さらにはバレーをやっている小学生など、会場に入りきれないほどの人たちが集まった。
選手の数は“たった”6人。
その子たちを応援する父兄の数もそれ相応の数しかいない。
にも関わらず、三ヶ日が試合を行うコートには、入りいれないほどの人が集まってくれていた。
初日は、4チームによる総当たりのリーグ戦。
上位2チームが「上位トーナメント」へと進み、下位2チームが「下位トーナメント」へまわる。
三ヶ日中の目標は『東海ベスト8』。
子供たちは、そう体育館に貼った。
だが、実質の目標は『東海一勝』。
3年連続で東海大会へ進んだ三ヶ日中だが、東海大会ではいまだ未勝利。
「最後に先生に一勝を」
と思っていた。
試合開始直前。
いつも通りベンチに集まり、先生の指示を仰ぐ選手たち。
普段よりも若干長い指示を受け、コートに選手が飛び出してきた。
全ての選手が涙を流したまま。
整列の際も涙が止まらない。
「この大会が最後!」
その想いが彼女たちから、充分過ぎるほど伝わってきた。
先生と共に戦える“最後”の戦いがはじまった。