病室まではコロの付いたベッドで移動。そこから通常のベッドへは看護婦さん二人がかりでコウタを抱えて寝かせた。その間、コウタがあまりにも痛そうなので見ていられず、嫁さんと二人で病室の外へ出て作業が終わるのを待っていた。
「あー腹減った!」
嫁さんが心配そうな顔をしているのに気が付いたコウタが努めて明るく振舞う。
コウタには男同士で話さなければならない“何か”があった。
「テレビ見るのにカードが必要だから、ちょっと買ってきて」
嫁さんにお願いし、やっとコウタと二人に。
しかしここでもコウタが切り出した。
「今度の試合までに怪我なおるかねえ?」
今度の試合とは9月5日の5年生大会のこと。間に合うはずがない。そんなことは本人もわかっている。たぶん、明るくツッコんで欲しかったのだ。しかしわたしの返答は、
「ちょっと間に合わないかな?」
まともに答えてしまった…
(子供に気を使わせてしまっている)
慌てて言葉を探す。
「手術がんばってよ!」
「痛いかねえ?」
(不安がらせてしまった…)
明るく振舞おうとしているのに裏目裏目と出る。
言わなければならない言葉が出てこない…
ちょっと気まずくなったところで、嫁さんがカードを購入して(今の病院はテレビを見るのも、冷蔵庫を使うのも有料なんですねえ…)戻ってきた。
程なくして看護婦さんが手術の準備にやってきた。
まず点滴を手術用に交換。針を1回抜いて、別の針を入れ直す。最初からその針を入れておいてくれればいいと思うのだが、そこは大病院。部署が変わればやり方も変わる。もちろん針も変わる。続いて熱を測る。業務用のため、数十秒で熱が測れた。そして血圧。両腕が包帯でグルグル巻きのため、足で測っていた。
「手術前にトイレに行きましょうねえ。車椅子持ってくるからちょっと待っててねえ」
車椅子を持ってこようとする看護婦さんにコウタがはっきりした口調で話かけた。
「自分で歩けます!」
この発言に一同ビックリ!
数時間前に事故に遭い、ついさっきまで折れている疑いすらあったのに、もう自分で歩くと言っている。その足はいたるところが青く腫れあがり、皮がめくれているのに自分で歩くと言っている。要するに心配をかけたくないのだ。
コウタは(ゆっくりではあるが)歩いてトイレに行った。
用を足す際には、両手が使えない状態なので嫁さんが手伝った。
おしっこの最中、病院服(ちゃんと名称があると思いますが、浴衣みたいなヤツ)が濡れないように嫁さんが服の裾を持っている時に、
「心配かけてゴメンね…」
コウタが嫁さんに言ったらしい。
自分が小学5年生の時に親にこんなことを言えただろうか?
自分が小学5年生でこれから手術という時にこんなに人に気を使えただろうか?
19時30分頃。
看護婦さんが呼びにきた。
いよいよ手術の時間だ。
コウタにも緊張の色が伺える。
「ピッチャーやらなきゃならないんだから、ちゃっちゃと手術してこい!」
コウタに声を掛けた。そうだ、こんなことを言いたかったのだ。コウタが前向きになれる一言を。
「わかった!いってくる!」
さっきまでの緊張に満ちた顔ではなく、晴れやかな顔になった。
思えば子供には多くのことを望んでいたわけではなかった。ただ前向きに、常にプラス思考で生きて欲しかった。そういう人間になって欲しかった。それがいつしか多くを望むようになり、他人と比べるようになっていた。誰の言葉か知らないが、好きな言葉に“試練はそれを乗り越えられる人にしか降りかからない”というのがある。まさに今だ。これを乗り越えられれば、コウタは他人とは違う“何か”を得られるはずだし、我々はもう少しマシな親になれるかもしれない…
再びコロの付いたベッドで地下の手術室へ。今度は自分で乗った。
「手術はだいたい1時間半くらいで終わります」
看護婦さんから説明があった。
「手術終わったらすぐに電話してよ」
コウタの看護を嫁さんにたくし、娘が待つ家へと帰ることにした…
つづく