現在、私は三ヶ日フレンズの本部役員を務めている。
もちろん適任ではない。
「やらされている」というのが正しい解釈になる。
春先の「三ヶ日大会」以後、活躍の場はほとんどなかったのだが、秋から冬にかけては町内の行事が“ぐっ”と増える。
忙しくなるのはこれからだ。
そんな中、「資料を探してほしい」と昨年の役員さんから連絡があったので、久しぶりに引き継いだ資料を“ガサガサ”と探すことになった。
探すべきモノは“USB”。
昨年の大会資料が入っているかを確認するためだ。
USBはすぐに見つかった。
すぐさま開いたのだが、残念ながらお望みの大会資料は入っていなかった。
がしかし、面白いフォルダを見つけた。
そのフォルダのタイトルは「ティーボール」。
「ティーボール!?」
ティーボールといえば忘れられない思い出がある。
コウタたちの一つ上の代が全国大会へ出場したことがあるのだ。
こんなに大事にとってあることを考えれば、その時の写真に違いない。
“ピン”ときたので、すぐさまフォルダを開いてみた。
すると出てくるではないか、懐かしい写真が!
場所は「西武ドーム」。自分自身もベンチの中や、グランド上で何枚も子供たちを撮ったはずだが、その時の写真は、今はいずこへ…。
コウタも、サトシも、ユウも、コウヘイも、エイスケもいる!
みんなこの時は3年生!
よって“まだ”かわいい。
この頃のコウタのポジションはレフトだった。
かろうじてグラブにボールが引っ掛かるので、上級生の試合でも使ってもらえていた。
もちろん、人数が足りないための“単なる”穴埋め要員だったのだが…。
非力なため(今もそうだが…)、ボールが飛ばなかった(今もだが…)。
それでもコーチから言われた“進塁打”を一生懸命狙っていた。
ティーボールは、棒の上に乗っかったボールを打つだけ。
難しくない。
みんなは鋭い打球を外野へと運ぶ。
それでもコウタの打球は“ボテボテ”だった(今もだが…)。
そのボテボテを「1、2塁方向に打てばランナーが進める」とコーチに言われると、ひらすらゴロを1、2塁方向に打ち続けた。
コウタが1塁側へゴロを打つと確かに進塁打となった。時には得点も入った。
コーチはコウタを使ってくれた。
結果として、全国大会の舞台「西武ドーム」でもプレーをすることができた。
その後、4年生になっても一つ上の試合ではレフトで使ってもらえた。
この時言われたのは
「フォアボールもデッドボールもヒットと同じだ」
ひたすらボールを見極め、フォアボールで出塁を稼いだ。
ヒットは打てないが、フォアボール、デッドボールで頻繁に出塁した。
コーチはコウタを使ってくれた。
5年生になった夏。
この日もレフトを守っていた。
上手な先輩たちと一緒に、グランドでプレーしていた。
ある日の練習試合の合間、コウタが何やらコーチと話をしていた。
次の試合からコウタは試合に出なくなった。
帰宅後、コウタに尋ねた。
「コーチと何話してたの?」
たぶん、どの親でも聞くはずだ。
試合に出てたのに、コーチと二人きりで話をしたとたん試合に出なくなるのだから。
コウタはさらりと答えた。
「どこのポジションをやりたいか聞かれたから答えただけだよ」
「え?でなんていったの?」
「は!?そんなん決まってんじゃん。ファーストやりたいって言った。来年になったらピッチャー」
「……」
言葉が出なかった。
「…ファーストって…。守ってるのサトシですが…」
この頃(5年生の時)から、サトシはチームに欠かせない存在で、すでにクリーンアップを任されることが多かった。
誰がみたって、サトシからポジションを奪えるはずがない…。
「で、コーチは何だって?」
「絶対にサトシからポジション奪えって。絶対にボールを後ろにそらすなって。そして監督にアピールしろって」
その日からコウタは試合に出ることがなくなった…。
この時、コーチがどんな意図でこんな話をしたのかはわからない。
コウタに代わって試合に出たのは4年生のキョウタロウ。
打撃に加えて、守備力も急激に上がっていた。
コウタよりも明らかに戦力になる。
(コウタをベンチに下げるための話し合い…)
そう思っていた。
だが、「ありがたい」とも思っていた。
突如ベンチに下げるのではなく、話し合いをしてから下げてくれたからだ。
それからというもの、練習の時はファーストを守った。
サトシと一緒にファーストの練習をした。
内野からの送球を後ろに逸らした途端、コーチから怒号が浴びせられた。
サトシのように上手には捕れない。
でも懸命に体で止めた。
「絶対に後ろに逸らさない!」
練習時でも、その意欲は伝わった。
試合の時、ベンチに座る場所も変わった。
監督、コーチの隣に率先して座った。
声も誰よりも出した。
いくら声を出しても出番はない。
にも関わらず、懸命に、チームの勝利のために声を出した。
それでもコウタが試合に出ることはなかった。
5年生の夏休み終盤の8月下旬。
来年に向けたチームづくりが少しづつ始まる。
コーチがコウタに声を掛けた。
「コウタ、マウンド行け」
牽制の仕方を、ピッチング教えてくれた。
コウタはこのコーチのことが好きだった。
ほとんどの子供たちから“鬼コーチ”として恐れられている、このコーチのことが好きだった。
どんなに厳しくされても、信頼して食らいついていった。
コウタが試合に出なくなったあの日、コーチはコウタと話をしてくれた。
コウタの想いを聞き終えると、“それ”を応援してくれた。
いつも厳しく、時に厳しく、さらに厳しく、そしてたま~に笑顔で“それ”を応援してくれた。
たぶんこのコーチも、コウタのことを信頼してくれていたのだと思う。
コーチはあの日話をした“やりたいポジション”の話を覚えていてくれた。
コウタにとって、これは嬉しい出来事だった。
そして、この日の練習の帰り道。
ノーブレーキで道路に飛び出した…。
blog「空飛ぶ野球少年」がはじまる前の話である。
年のせいか、昔の写真をみるとつい過去を振り返ってしまう…。
6年生の頃の写真をみては「あの時はこうだったな~」なんて感慨にふけることも多い。
だが、コウタはほとんど見ない。
一緒に見ようと誘っても、“ちらっ”と見ただけであまり話にも乗ってこない。
コウタにすればこの物語は完結していない。
まさに現在進行形。
だから過去を振り返っている場合じゃない。
しかしあの日、コウタが違うことをいたら、「どこでもいいから試合に出たいです」と言っていたら、間違いなく今のコウタはない。全てが違った結果になっていたはずだ。
「どこでもいいから試合に…」が悪いと言っているのではない。
むしろそう主張できるのは素晴らしいことだ。
言いたいとは、その子のタイプ。好みの問題だ。
子供の主張には耳を傾け、信頼する。
そんなことが、子供を人として成長させるのだと思う。
コーチに代わって、今度は自分がコウタを信じる番。
目標に向かって頑張るコウタを信頼する番だ。
見るべきは結果ではなく“過程”。
コウタにとっては“こんな”昔話よりも明日の試合が大事。
今度いる場所は“スタンド”。
きっと、どこにいてもやることは変わらない。
全ては“チームの勝利のため”。
あと2勝で「西部大会」出場!
頑張れ三ヶ日中野球部!