「空飛ぶ野球少年」以前!

ワカさん

2012年10月05日 22:02

現在、私は三ヶ日フレンズの本部役員を務めている。
もちろん適任ではない。
「やらされている」というのが正しい解釈になる。

春先の「三ヶ日大会」以後、活躍の場はほとんどなかったのだが、秋から冬にかけては町内の行事が“ぐっ”と増える。
忙しくなるのはこれからだ。

そんな中、「資料を探してほしい」と昨年の役員さんから連絡があったので、久しぶりに引き継いだ資料を“ガサガサ”と探すことになった。
探すべきモノは“USB”。
昨年の大会資料が入っているかを確認するためだ。

USBはすぐに見つかった。
すぐさま開いたのだが、残念ながらお望みの大会資料は入っていなかった。

がしかし、面白いフォルダを見つけた。

そのフォルダのタイトルは「ティーボール」。

「ティーボール!?」

ティーボールといえば忘れられない思い出がある。
コウタたちの一つ上の代が全国大会へ出場したことがあるのだ。

こんなに大事にとってあることを考えれば、その時の写真に違いない。

“ピン”ときたので、すぐさまフォルダを開いてみた。
すると出てくるではないか、懐かしい写真が!


場所は「西武ドーム」。自分自身もベンチの中や、グランド上で何枚も子供たちを撮ったはずだが、その時の写真は、今はいずこへ…。

コウタも、サトシも、ユウも、コウヘイも、エイスケもいる!
みんなこの時は3年生!
よって“まだ”かわいい。



この頃のコウタのポジションはレフトだった。
かろうじてグラブにボールが引っ掛かるので、上級生の試合でも使ってもらえていた。

もちろん、人数が足りないための“単なる”穴埋め要員だったのだが…。

非力なため(今もそうだが…)、ボールが飛ばなかった(今もだが…)。
それでもコーチから言われた“進塁打”を一生懸命狙っていた。

ティーボールは、棒の上に乗っかったボールを打つだけ。
難しくない。
みんなは鋭い打球を外野へと運ぶ。

それでもコウタの打球は“ボテボテ”だった(今もだが…)。

そのボテボテを「1、2塁方向に打てばランナーが進める」とコーチに言われると、ひらすらゴロを1、2塁方向に打ち続けた。
コウタが1塁側へゴロを打つと確かに進塁打となった。時には得点も入った。

コーチはコウタを使ってくれた。

結果として、全国大会の舞台「西武ドーム」でもプレーをすることができた。


その後、4年生になっても一つ上の試合ではレフトで使ってもらえた。

この時言われたのは
「フォアボールもデッドボールもヒットと同じだ」

ひたすらボールを見極め、フォアボールで出塁を稼いだ。
ヒットは打てないが、フォアボール、デッドボールで頻繁に出塁した。

コーチはコウタを使ってくれた。


5年生になった夏。

この日もレフトを守っていた。
上手な先輩たちと一緒に、グランドでプレーしていた。

ある日の練習試合の合間、コウタが何やらコーチと話をしていた。

次の試合からコウタは試合に出なくなった。

帰宅後、コウタに尋ねた。
「コーチと何話してたの?」

たぶん、どの親でも聞くはずだ。
試合に出てたのに、コーチと二人きりで話をしたとたん試合に出なくなるのだから。

コウタはさらりと答えた。
「どこのポジションをやりたいか聞かれたから答えただけだよ」

「え?でなんていったの?」

「は!?そんなん決まってんじゃん。ファーストやりたいって言った。来年になったらピッチャー」

「……」

言葉が出なかった。

「…ファーストって…。守ってるのサトシですが…」

この頃(5年生の時)から、サトシはチームに欠かせない存在で、すでにクリーンアップを任されることが多かった。

誰がみたって、サトシからポジションを奪えるはずがない…。

「で、コーチは何だって?」

「絶対にサトシからポジション奪えって。絶対にボールを後ろにそらすなって。そして監督にアピールしろって」

その日からコウタは試合に出ることがなくなった…。

この時、コーチがどんな意図でこんな話をしたのかはわからない。

コウタに代わって試合に出たのは4年生のキョウタロウ。
打撃に加えて、守備力も急激に上がっていた。

コウタよりも明らかに戦力になる。

(コウタをベンチに下げるための話し合い…)

そう思っていた。

だが、「ありがたい」とも思っていた。

突如ベンチに下げるのではなく、話し合いをしてから下げてくれたからだ。


それからというもの、練習の時はファーストを守った。
サトシと一緒にファーストの練習をした。

内野からの送球を後ろに逸らした途端、コーチから怒号が浴びせられた。

サトシのように上手には捕れない。
でも懸命に体で止めた。

「絶対に後ろに逸らさない!」

練習時でも、その意欲は伝わった。

試合の時、ベンチに座る場所も変わった。
監督、コーチの隣に率先して座った。

声も誰よりも出した。

いくら声を出しても出番はない。

にも関わらず、懸命に、チームの勝利のために声を出した。

それでもコウタが試合に出ることはなかった。


5年生の夏休み終盤の8月下旬。

来年に向けたチームづくりが少しづつ始まる。

コーチがコウタに声を掛けた。
「コウタ、マウンド行け」

牽制の仕方を、ピッチング教えてくれた。


コウタはこのコーチのことが好きだった。
ほとんどの子供たちから“鬼コーチ”として恐れられている、このコーチのことが好きだった。
どんなに厳しくされても、信頼して食らいついていった。

コウタが試合に出なくなったあの日、コーチはコウタと話をしてくれた。

コウタの想いを聞き終えると、“それ”を応援してくれた。
いつも厳しく、時に厳しく、さらに厳しく、そしてたま~に笑顔で“それ”を応援してくれた。

たぶんこのコーチも、コウタのことを信頼してくれていたのだと思う。

コーチはあの日話をした“やりたいポジション”の話を覚えていてくれた。

コウタにとって、これは嬉しい出来事だった。

そして、この日の練習の帰り道。
ノーブレーキで道路に飛び出した…。


blog「空飛ぶ野球少年」がはじまる前の話である。


年のせいか、昔の写真をみるとつい過去を振り返ってしまう…。
6年生の頃の写真をみては「あの時はこうだったな~」なんて感慨にふけることも多い。

だが、コウタはほとんど見ない。
一緒に見ようと誘っても、“ちらっ”と見ただけであまり話にも乗ってこない。

コウタにすればこの物語は完結していない。

まさに現在進行形。

だから過去を振り返っている場合じゃない。

しかしあの日、コウタが違うことをいたら、「どこでもいいから試合に出たいです」と言っていたら、間違いなく今のコウタはない。全てが違った結果になっていたはずだ。

「どこでもいいから試合に…」が悪いと言っているのではない。
むしろそう主張できるのは素晴らしいことだ。
言いたいとは、その子のタイプ。好みの問題だ。

子供の主張には耳を傾け、信頼する。
そんなことが、子供を人として成長させるのだと思う。

コーチに代わって、今度は自分がコウタを信じる番。
目標に向かって頑張るコウタを信頼する番だ。

見るべきは結果ではなく“過程”。


コウタにとっては“こんな”昔話よりも明日の試合が大事。
今度いる場所は“スタンド”。

きっと、どこにいてもやることは変わらない。

全ては“チームの勝利のため”。

あと2勝で「西部大会」出場!

頑張れ三ヶ日中野球部!

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